中性脂肪を放置し続けて植物人間になってしまった我が愛する父の話(実話)④手を握り返してきた父

健康と病気
2015/10/13 12:26

夜になる前に病院をでてその日は帰宅したのだが、「良くない知らせ」の電話が鳴るような気がしてならず、正直一睡もせず、仕事のメールなどかたずけ夜明けとともに軽く仮眠をとり、翌日も10時にはまた病院にいった。「死に目にはあいたい」という気持ちが強かったからだ。

父は昨日とまったく同じで、意識はなく、人工呼吸器のおかげで頑張れてる感じにみえた。

そして、人工呼吸器をつけて2日後の朝9時半に行くと医師とあえて、CTで肺の水ともやはすこしすくなくなってきたとのこと、医師がいなくなったあと父のそばにいくと、時々眉をしかめたり、首をうごかしたりして、意思表示しているようにもみえなくもないので

ベッドのパイプに拘束された手をにぎると、「ぎゅっと」握り返してきた。私Nは直感的に回復していると感じてうれしくなった。2回握り返しその後はにぎりかえさなかったが、良くなっていると確信した

母にすぐ「たぶん、きのうよりいい。快方にむかっていると思うとつたえた」この日は久しぶりにぐっすり寝れた。

その予感は的中し人工呼吸器をつけて3日目の朝、病院から電話があり、「父が意識を取り戻した」と連絡をうけたのですぐかけつけると。まだ人工呼吸器はついたままで、「息子さんきましたよ!」という看護師さんのことばで、すこーし目をあけた、「意識がはっきりしたのかと」思っていたが

そこまでではなく、しばらくうっすらこちらをみて、また寝てしまった

医師も肺の水もかなりなくなり、あと二日ぐらいで人工呼吸器もとれるとおもうとのことだった

父は一命をとりとめた、ただし確実に拾った命である。

その後も父は順調に回復し2週間のICU生活から一般病棟にうつりリハビリを2週間し、1か月で退院できたのだった

いまでもおぼえている8月8日に入院し、9月9日に退院した

ただし、たまたま、下行大動脈で、その後すぐに上行が裂ける気配がなかったことが幸いしただけで、父の動脈は40センチも中膜が裂けたままである。この退院時には後遺症らしい後遺症も幸いでていない。

そして、この入院であらたに「不整脈」が頻発したことが発見され、不整脈がおこす心房細動(心臓の正常の鼓動が狂い細動状態になること)によりできる血栓(血のかたまり)ができないようにするワーファリンという薬をはじめ8種類近いくすりを1日に飲む生活となった

「俺はどこも悪くない」人から、持病かかえる病人に一瞬でかわった

長い間病気をしなかった人間が、壊れだすと雪崩が起こるようにいろいろなことがおこりだすもの。

これから立て続けに父を大病が襲うことになるのだがこの時は、家族も本人も知る由もない、、

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管理人

東京都出身。元芸能プロモーター歴20年。芸能屋時代ロケで47都道府県を旅しながら、うまい出し醤油やめんつゆ、調味料を日本全国から買い集め、自作ラーメンと餃子、揚げ物の研究を8年間行った。2015年に引退後は料理、FXなど独自の研究活動や勉強中心の生活をおくる。

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