夜になる前に病院をでてその日は帰宅したのだが、「良くない知らせ」の電話が鳴るような気がしてならず、正直一睡もせず、仕事のメールなどかたずけ夜明けとともに軽く仮眠をとり、翌日も10時にはまた病院にいった。「死に目にはあいたい」という気持ちが強かったからだ。
父は昨日とまったく同じで、意識はなく、人工呼吸器のおかげで頑張れてる感じにみえた。
そして、人工呼吸器をつけて2日後の朝9時半に行くと医師とあえて、CTで肺の水ともやはすこしすくなくなってきたとのこと、医師がいなくなったあと父のそばにいくと、時々眉をしかめたり、首をうごかしたりして、意思表示しているようにもみえなくもないので
ベッドのパイプに拘束された手をにぎると、「ぎゅっと」握り返してきた。私Nは直感的に回復していると感じてうれしくなった。2回握り返しその後はにぎりかえさなかったが、良くなっていると確信した
母にすぐ「たぶん、きのうよりいい。快方にむかっていると思うとつたえた」この日は久しぶりにぐっすり寝れた。
その予感は的中し人工呼吸器をつけて3日目の朝、病院から電話があり、「父が意識を取り戻した」と連絡をうけたのですぐかけつけると。まだ人工呼吸器はついたままで、「息子さんきましたよ!」という看護師さんのことばで、すこーし目をあけた、「意識がはっきりしたのかと」思っていたが
そこまでではなく、しばらくうっすらこちらをみて、また寝てしまった
医師も肺の水もかなりなくなり、あと二日ぐらいで人工呼吸器もとれるとおもうとのことだった
父は一命をとりとめた、ただし確実に拾った命である。
その後も父は順調に回復し2週間のICU生活から一般病棟にうつりリハビリを2週間し、1か月で退院できたのだった
いまでもおぼえている8月8日に入院し、9月9日に退院した
ただし、たまたま、下行大動脈で、その後すぐに上行が裂ける気配がなかったことが幸いしただけで、父の動脈は40センチも中膜が裂けたままである。この退院時には後遺症らしい後遺症も幸いでていない。
そして、この入院であらたに「不整脈」が頻発したことが発見され、不整脈がおこす心房細動(心臓の正常の鼓動が狂い細動状態になること)によりできる血栓(血のかたまり)ができないようにするワーファリンという薬をはじめ8種類近いくすりを1日に飲む生活となった
「俺はどこも悪くない」人から、持病かかえる病人に一瞬でかわった
長い間病気をしなかった人間が、壊れだすと雪崩が起こるようにいろいろなことがおこりだすもの。
これから立て続けに父を大病が襲うことになるのだがこの時は、家族も本人も知る由もない、、
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