「父が望むことを支える」と決めてからは、手術に関してのネガティブな発言は、私Nも、母も極力しないように心掛けた。本人も簡単な手術ではないことぐらいは分かっていて決めたことだからだ。
本人が望むのは常日頃から口にしていた「90歳まで俺は生きる」という「長寿願望」が人一倍あった
時には「90になったらまた晩酌もはじめる」ともいっていた
手術時は84歳、手術せずにほっておいたら、もって2,3年というところだろう(なんともいえないがながくこのままの状態は続かない)。
父と大動脈乖離という病気について客観的みたは話もした
私Nが
「体の内部のことでいったいいつそんな7センチにひろがったのかわからないよね?この病気の難しいところは、自分自身で良い状態、悪い状態と自覚できないところだよね?」
というと
父も「そのとうりだ、いたくもかゆくもなんともないのに、、、悪くなってるとおもわないもんな、、俺はこのまま死ぬまで暮らしていけるとおもっていたんだよ、、」
この会話は大動脈乖離と向き合ってる人には、緊張がはしったとおもう
私Nの持論だが
65から75歳、76歳から85歳での体の劣化速度は全然ちがうとおもうのだ
歳をとればとるほど劣化速度は加速するのに、それをチェックするCT撮影は毎年1回ではまずいのではないかとおもう、、
せめて70後半からは半年に1度にすべきかもしれない。ことこの大動脈乖離のチェックは「センチが命」なのだから、、
そして、手術の日が近づくにつれて、身内として、父に内緒でやっておかなければならないことも発生していた
まず、一つ目は、万が一にそなえて「家族葬」の業者の選定や登録である。高齢者の手術で全身麻酔というだけでもリスクはあるのに、大動脈置換手術と言えば考えないわけにはいかない。
母や兄がしないのなら、私Nがやるしかない
そして、二つ目は「特別養護老人ホーム」に入所になった場合の予算組である
言語麻痺だけならまだしも、片麻痺以上の対麻痺等、車いす生活の体になってしまった場合の毎月の費用の概算と家計のシュミレーションをしなければならない
たまたま会社をやめてから両親のこのような事態に備え、資格を取っていたこともあり、おおよその段取りと流れは把握していたのが功を奏した。
ただし、特別養護老人ホームも何百人待ちで簡単にいまは受け入れ先はみつからないのだ
その順番は症状の重篤さなどに重きをおきながら総合的に判断される、値段も一律ではないため自分自身でもある程度調べておく必要があるのである。
考えたくないことだけに、この準備をしているだけでもかなり複雑な気持ちだったのを覚えている
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