カテーテルの検査当日も家の電話がなるかと緊張していたが、夕方になっても電話はならず、何事も起こらなかったな、、と安心した。翌日父を迎えにいくと、元気そうで、担当していただいた医師からも「いや、無事検査はおわりました、脳梗塞もおこらず、よかったです」
と説明時とは打ってかわってにこやかな表情で話をしていただきました
「まあ、医師が危険性を強調することは、もし起こったときに備える、いわゆる防御策の常套手段だからな、、」と私Nもこのときは思った
私N「父さん、おつかれさま、何かそのへんで食べる?病院食でおなかすいてるでしょ?」ときくと
父「いや、、まっすぐ(家へ)かえる」と珍しく外食を望まなかった
高速で1時間ちょっとで郊外の家に着く。車に乗り
私N「いろいろ大変だったでしょ?カテーテル検査も、がんばったね!でもここから入院まで5日間、かぜひかないようにね、、」というと
父「そうだな、、」と珍しく口数がすくなかった
いつも父は退院して、車にのると看護師さんはなんとかさんといって、、、こんな人だった、、とか、
医師の先生はこうだったあーだったとか、聞いてもない話をずっとするのだが、、このときは全くと言っていいほど無口だったのを覚えている
翌日からも、時より心細くなるのか、2階の自分の書斎ではなく、母のいる台所の椅子に黙って座っていて、
私Nが「大丈夫?」ときくと
父「大丈夫だよ、俺は案外すんなりいくと楽観視しているんだよ、、」と強がった言葉を言っていた
ここまできて、「心配なら、やめれば」というのはさすがに失礼すぎて誰もいえない空気にはなっていた
私Nも「父さんは今までも土俵際で勝って、助かってきたからね、家族としてはその強運を信じてるよ」というと
父「そうなんだよ、いつもな、、、」と確かにといった顔をして少しわらっていた
父が寝たあと母が台所にいるとき
私N「母さんちょっと、、、一応ね、万が一の時の業者は登録してある、麻痺が起きて車いすになったときのホームもある程度しらべておいたから、、」と伝えた
ただ一つだけ、、最後まで父が首を縦にふらなかったことがあった
父の姉(私Nの叔母)への連絡を拒否した
私Nが、何回も「危険を伴う手術だから一応はSおばさんに父さんから連絡すべきだよ!」
と説得しても
「いや、いい」と何回いってもきかなかった
正直、その理由の真意はわからない
なぜかというと
お恥ずかしいはなしだが、私Nの母はおばさんを良く思ってないこともあり、何年も前から、父は母に叔母の話を一切しなくなっていた。
父しかおばさんの現在の状況は把握してない
私N的にはおばさんの旦那さんが10年前に亡くなった葬儀では長男の方に車いすを押してもらってたって、挨拶するときは杖すがただった
父より4歳上で今年で90歳になられるはず、、
なぜか最後まで父は手術のことを伝えなかったのだ
父は手術を挑むにあたり、「自分がは元気に家に帰ってくること」しか考えていなかったと思う
何故なら
自分の部屋も、寝室も、服も、いつもどうりのまま手術にむかっている
つまり、万が一の時はこーしろ、あーしてくれ、という気持ちがあったら言うはずだ、
紙に書いて渡したり、
服や、もう少し、貴重品についてとか、、、、
それなりの準備がこの5日間でも、、あるはずだ。
でも父は、、なにもそれらしきことをひとつもしなかったし、言わなかった
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