「こんなことになるなら」「血管状況で不可能と医師はわかっていたのでは」「植物状態になる可能性の説明責任」など、やはり次々と病院に対する不信感だけがこみ上げるきもちを
今さら考えてどうなる、、、と押し殺し
息子としてのすべきことの1番は?と考えた、、まずは
「父の死に場所をみつけなきゃ、、」だな
このまず第一のゴールをめざすために、私Nは療養型病床の多くある病院のリストアップを睡眠時間をけずりここから10日間必死で行い、その中で可能性がありそうなものをさらに絞り込み、病院の相談員A女史におくった
やはり、病院にしてみれば、こんな我が家にとっては一大事でも「しょせんが他人事」、事務的にしか探してはくれないだろう、、と考えてのことだ
しかし、我が家にとって、特に私Nと兄にとっては、もし仮に、10年間、父がこのまま、生きたとしたらその費用は2000万円以上にもなる。
ここは、私N兄弟の将来にもかかわる正念場だということが私Nはわかっていた。
コロナもピークをむかえ、そのまっただ中とあり、気管切開をしたばかりの植物状態で酸素ケアの必要な父を受け入れてくれる病院はなかなかにただでさえ簡単には見つからない、、、、
手術をした病院は「急性期病院」といい症状がある程度おさまると、いつまでも長く居させてもらえないという状況もあった
そのたびに「やり場のない怒りを」「芸能プロモーター時代の地獄の日々が」打消し、私Nを支えた
私Nは芸能プロモーター時代20年間の間、365日休まず働いた年が4年間、他6年間も1年で2週間も休みがなかった。
「超人」と言われたほど、仕事人間だった、様々な人と人にまつわる地獄も体験してきた
だから「理不尽が人生にはつきものだ、昔ほどの話じゃない、、身内のことだ、、俺が本気だせば、なんとかできる」という
どこからか声が聞こえてくるのが、不思議だった、、
その努力が実ってか、2週間ぐらいしたら、私Nのリストアップした病院のひとつが「受け入れ可能」の返事をだしてくれた
住んでいるところからは車で1時間半かかるが、それでもありがたく、すぐに面接を申し込んだ、、
子のころには、父も病状が良くも悪くも安定し、ICUから一般病棟への移動した、不幸中の幸いは、呼吸がある程度自力でできて安定し、人工呼吸器がなくても生命維持できる状態ということは神様に感謝しなくてはならない
人工呼吸器をつけたままだと、対応できる病院は東京にも数えるほどしかなく、こちらに選択権がないのも等しい(努力の範囲外)からだ
値段もかなり高額なところが多いのである
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