前回でお話したとおり座右の銘の「ありとあらゆる手をつくせ!」の実行として、「いまでも、鳥居と石造は現存する」という文献をもとに、おおよその目星をつけて、戸田駅を目指しました
キーワードは「川沿い」「笹目」「梅の木ばし」この3つから目的地をさがし、まず駅前交番のおまわりさんに
私N「すみません、大正2年ごろにあった梅の木稲荷の跡にいきたいんですが、ご存じですか?」ときくと
おまわりさん「梅の木稲荷?神社ですか?いえ、ちょっときいたことないですね、この辺のはなしですか?」
私N「ええ、なんか鳥居しかないらしいですが、、、笹目ってところらしいです、ちかくに梅の木というはしがあるとか、、、」
おまわりさん地図をひろげてしばらく黙ってみていると「笹目はこのあたりで、、ここが梅の木という橋というか、、用水路に鉄の通路があるていどですが、、」
私N「そこだとおもいます、道をメモさせてください、、、」
必死にメモした場所はスゴイ遠くまさか夏場に炎天下のアスファルトを片道45分もあるくとはおもわなかった
でも「ご利益があって、大正2年から5年までもの長い間、蕨駅から籠が出るほど、連日おおにぎわいだった神社」
社のあとでもお願いできる石碑ひとつでもあれば、ご利益があるのではないか?!
と必死だ、なんとかあの子(自分が育てているタレントを)形にしなければいけない
歩くあしが疲れても「ありとあらゆる手を尽くせ」と心の中でなんどもいいながら
道を間違えながら、、ちかづいていこうと必死で歩いた
片手に営業用のプロフィール資料の重いカバンをもってきてしまい、大変な失敗をした、コインロッカーに入れるべきだった
なんか一向に森とか、、神社がありそうな場所がなく、田舎の住宅地の中をぐるぐるあるいていた
私N「最悪だ!うそだろ梅の木稲荷は、、、、くそ!」もう引き返そうとしたとき、20メートルぐらい先に、木の列がみえてそこまでいくと、住宅地の奥に用水路みたいなのが小さく狭いがあった
そこを左折して用水路を右手に左に住宅地をみながらとぼとぼあるくと、住宅地が途切れて、急にぽかんと土がみえたので左をみたら、民家と民家の間に、あきらかに昭和初期の木造平屋の小さい家があり左おくに、きつねの石造が(アイキャッチ画像)あるのがみえた、
驚いたのは、このとなりの住宅との間に挟まるように鳥居がある(ものすごいおどろいた、)
※アイキャッチ画像ふくめすべて私が写メでとった写真です
そのほかにも2.3石造があり
物干し竿のおくにぎゅっといろいろな石の灯篭もある
どうやら一説には
神社取り壊しに反対した信者の方たちが鳥居とこの石造などを守り、この古民家に居住して守り抜いているようです(写真は2007年夏頃撮影)
世の中のは、常識では説明できない現象がたくさんあります!
この梅の木稲荷さまが活躍されて、ご利益があった話がまったくのうそなら、こんなことしないとおもいます
戸田市のホームページを張っておきましたので、詳しいストーリーはそちらをご参照ください
最近はこの梅の木稲荷についてもその後15年で結構、ネットで多く取り上げられているようです
ご興味ある方はいろいろ調べてみると面白いとおもいます!
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