なんだよ!下に来い!って急に!と言いながらエレベーターでロビーに向かうと、そこにはだれもいなかった、、、フロントの方に
私N「すいません、、Oさんっていませんでしたか、、と」聞くと
フロント「たしか、、ラウンジに、、、」とラウンジバーの方だというので、ラウンジバーをのぞくと
大物俳優Oさんはすでにカウンターに座っていた
Oさん「おう!こっちこい!」
座ってるだけでなく、半分へったウイスキーグラスもあり、すでに1時間ぐらい飲んでいたようだ
私N「すいません、、おそくなりました、、、Oさん、もう飲んでらっしゃるんですか?」
Oさん「まあな、、お前んところは電話も直接できないんだな、、まったく、、」(前の中編参照)
私N「すいません、、事務所の決めたルールなもので、、」
Oさん「おまえ酒は飲むのか?」(東京の稽古や本番の時は私Nは運転があって一緒の時に酒を口にしたことはなかった)
私N「ええ、いつもはビールです、、でも基本なんでも飲めます」というと
Oさん「そうか!じゃおれとおなじの飲め!これはうまいんだ!なあ!(バーテンさんに)こいつに同じのくれ!」
私N「ウイスキーですか?」
Oさん「なんだ?、大丈夫だろ?俺はこれがすきなんだよ、まあ飲んでみろよ」とここでバーテンさんがウイスキーを私Nのまえにおいた
私N「いただきます!(鼻を近づけたらいい香りがした、ゴクッとのむ)、、うああ、これうまいですね。なんてウイスキーですか?」
Oさん「これはな、マッカランていうんだ、お前、結構のめそうだな、、遠慮すんな、飲めよ」
1時間で3杯ぐらいはのんで いい気分だ、、そんな時Oさんは突然私に質問をした
Oさん「お前、いやいややってんのか、、その仕事、、、なんで入ったんだよ、、この世界に、、」
私N「わかるんですか?、、2年目ですが、、あんまり向いてないかなと、、もともとは売れないバンドマン崩れです、、ギター弾いてました」
Oさん「、、、Nよ!役者ってのは観察学なんだよ、、座長は一座の人間がどんな奴か観察しててわかるんだよ、、、お前は顔に不満が出すぎてる、、そりゃわかるよ、、」
私N「、、、、実は、、まだ社長にもいってないですが、、会社辞めてもう一回バンドやろうかな、、と実は思ってるんです、、」
と私Nが言った瞬間、ほろよいの空気からOさんはガラッと私Nをにらみ一言強く言い放った!
Oさん「いやN!いったん封印したものを解いてはいけない!」
私N「えっ!、、、、と申しますと、、」
Oさん「いったん封印を解いたら、お前の人生おかしくなるぞ、、、」
私N「やってはダメなんですか、、」
Oさん「そうだ、いったん封印したものを解くとめちゃくちゃになったりするんだ、、お前はもう新しいレールを走ってるんだよ!戻ればおかしくなる、、、」
まさかたった2人で最初の酌み交わした酒の席で、こんなこと言われるとはおもわなかった、、、私は踏み外しそうな人生のレールを、他人に直してもらったのだ
たしかにもう1度バンドをやってもメジャーデビューできたかはわからない
結果、私はこのあと東京に帰ってまずギターケースを文字どうり「封印」したのだ、ガムテープで開けられないようにぐるぐる巻きにした
そして、マネージャーを5年は続けてみるという心に1本の目標をたてて「新しいレール」を全力疾走することに決めたのだ
この時のOさんの言葉がなかったら20年もやらなかった。自分でタレントを育てて引退した
この時の会社は7年、この舞台から5年後にやめるのだが、私はやめるときに社長から、聞かされたのだが、
この舞台のあと1年ぐらいして「Nを俺にくれませんか?」と当時の社長に直談判して私Nを引き抜く話を持ち掛けていたそうだ、、(なんで言ってくれなかったんだ、、くそっ!、とはおもったが、、役者のマネージャーではなく音楽プロデューサー志望だったし、、それをきいたのはずいぶん後だ、、、)
舞台後もOさんとはいろいろ会う機会は多かった
たくさんの素敵な「言葉」もらった、いつかまたこの名言の数々をこのブログでシリーズ的にかいていこうと思う
その後のドラマの現場も一緒だったりした、会うと「若かりし頃の私Nのそそう」(生意気だったしね)をいじられた
20年間のマネージャーの現場でもこの2か月半より内容の濃い時間はなかった
この舞台がなかったら、私の
私がその後、育てたタレントもいなかったと思う
Oさんは今なお現役の役者でご活躍されています、
あのとき47歳だから、今73歳頃、、、もう私Nは酒をまったく口にしないが
マッカランだけは口をつけたいとおもう、、引退した私Nの部屋に、当時のOさんとの写真をかざらせていただいている
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