Mさんから受け取った8ミリのリールとCD原盤を抱えるようにして、事務所に戻ると、社長はいなかった、
私N「あれ?社長は?とデスクのAさんに聞くと」
A「今ちょっと出てます、1時間で戻ると言ってましたけど、、」
私N「そう、、1時間?もうすぐらいかな?」
A「だぶん、、、そろそろ、、、だと、、」
待つか、、、と自分のデスクに久しぶりにすわると、山のような資料とメモがどっさり、、あってうんざりした、、
現場から夜もどり、、一人で深夜デスクワークはやることにしていたので、、、人がまわりにいる時間には、忙しいタレントのマネージャーほど、いないのが普通なのである
まずはバインダーに会社の各セクションからの要望が山ほど、専務からの指示書等、必要なものを、自分のカバンに移していく、、、実にデスクワークとは自分の為にならない作業である
そうこうやっているうちに社長がかえってきた!
社長「ただいま!」
私Nは手に原盤CDをとり社長のもとにいった
社長「あらNくん、事務所にいたのね、、、」
私N「社長!先ほどMさんからこれをうけとってきました!」とCDをみせた
社長「なにそれ?」
私N「○○さんの別荘レコーディングの音源です!」
社長「ああ、、、、そうなの、、、」とすこし困ったような返事をした、、、、
私N「今かけていいですよね!」といってステレオの方にいこうとすると
社長「今はいいからそこに置いといて!」といったのです
私Nはいてもたってもいられないという気持ちで
私N「なんでですか?今聞きましょうよ!」というと私の言葉を遮るように大きな声で
社長「きけないのよ!いいからおいといて!」と怒鳴られてしまったのです
私Nは、さぞかし、お手柄もので褒められるつもりで言ったことでまさか怒鳴られることになるなんて思わなかったので、、、いったい何が起きたのか全くわからず、、、
CDだけ社長のデスクに置き、、、自分のデスクにもどり、、、カバンをもち、、、外まわりにでてしまった、、、、
その社長の言葉の意味がわかるまで、、、30分ほどかかった
その昭和の大物歌手は詳しくは言えないが、、、不慮の事故で故人となった
そもそも、、、社長がこの事務所の2代目社長になったのも、、、この昭和の大物歌手が推薦したからなったほど仲がよかったらしい、、、、
その、、歌手の生前の元気な声がながれれば、、、、浮かぶ映像から涙なしで聞くことは難しい、、、
そう悟った時私Nは、、、しまった、、、タイミングと空気を間違えた、、せめて他のスタッフのいないタイミングで言うべきだったと
自分のデリカシーのなさを恥ずかしく思った
それと同時に、、、あそこまで怒ると、、、もう、、あのCDの話すら,、、迂闊に口にだせなくなってしまったのだ
私Nは、、、「完全にミスをした」やってしまった、、、アンタッチャブルゾーンに土足で入るようなまねをしたのだ、すべての事の流れにおいて、一番大切なポイントでミスをしてしまったのだ
その後、何度もあの音源のことを口にしようと思っては、やめたのだった
そして、あの時の予感のとうり、、迂闊には口にだせず、私がその後2年後退社するまで、、そのCDについては一切触れることができないまま、、私は退社した
退社してからも、、、その会社のことより、、、「あの音源は世のだすべきだったなぁ、、、」と
ときどき思い出し、、、、あれから23年経った今もどんな音なのかすら、、、CDを焼いたチーフエンジニアのMさんしかしらないものになっている
故人の音源は所属プロダクションが管理をし、世の中にリリースするにあたっては、「遺族の許可」が必要になる
NHKの「坂の上の雲」も司馬遼太郎が「映像化厳禁」とかいて他界したため、、、NHKが遺族の許可を取り「映像化」に成功した例である
この事件は私に多くの事を教えた
仕事では「自分の大手柄」はすべてのひとにとって賞賛されるものではない、、ということ
「自分の利益」は「他人の不利益」と表裏一体であること
「人間はほとんどにおいて、、自分の喜びを他人とは本当の意味で分かち合えない」ということも
この29歳の勉強がその後の自分の振る舞いに大きな影響を与えた、、
コメント