「君は一応社長にあわすから、、またれんらくするよ」といわれたのが11月なのに、、、連絡がこないまま新年を迎えて、、、私Nは「ひょっとしたら、、、話がかわって、、、今回は、、」とかダメになったのでは、、、と不安が押し寄せてきていた
1月も10日頃連絡がきた!当時は携帯もパソコンもない時代は、家の留守番電話が一人暮らしの人間にはとても大切だった
だれもいないアパートの鍵を夜あけて部屋にはいると、まずみえるのは留守番電話の赤い光だ。「点滅」してれば留守電入っている
その日、「点滅」を見たときに「あのプロダクションからだ」となぜか直感的におもった、、、
その直感は当たり、社長面接の日程が一方的にはいっていて、それがすぐ5日後の日程だった、、
私N「急だな、、」と驚いたが、、、バンドマン時代も「いいチャンスほど突然くる」というのをしっていた
翌日午前10時にかけなおして「日程どうりに行けます」と返事をした。
自分の人生は5日後に決定する
「芸能プロ社員」か「フリーター」かが決定するわけだ
ある意味「天国と地獄」だな、、、とおもった
バンドのコンテストはいつも4人で受けてきたのでまったく孤独感はないし、、コンテストで人生がかわるなんておもっていたのは高校生の時ぐらいだ、、、
大人の社会は「会社のトップが国王」その鶴の一声で、、、すべては決まるのをこの頃は痛感していた
「いよいよ国王登場だ」さすがに緊張がこみ上げてきた、、
おそらく、面接するのも5人ぐらいだろう、、、いやもっと少ない、、、3人かも、、もう時期的に最後のほうだ、、
なぜなら、、「他の人は別の業種も受けている、、年明けまで、、またず年内に他業種が決まり次第、、もう就職を決めてなければならない」
業界にこだわっても、、、もう募集はない、、、、
すべればフリーター、、、でバイトでやとってもらうところを探すか、、、
あと5日しかない、、、
戦略を3つぐらいにしぼって、何とか最悪バイトでもいいから、潜り込もう、、、
芸能プロは企業ではなく「商店」である。「国王」に自分の正論をかざすのはバカだ、、、
偉い方に、弱者の正論はよくないのだ、、、そして女性の社長、、、なかなか難しい、、、
いろいろ悩むうちにふと思った
思えば、、152社でなんで1社しか採用募集がないんだ、、、、この時代に生まれなければよかった
「なんでこんなついてない時代(第2次ベビーブーム)にうまれてしまったんだろう、、、5年はやくうまれたら、、こんな何百倍なんてならないどころか、、どこでもいい会社もはいれたのに、、、ほんとうまれた時代が悪すぎる、、、大学も30倍、、50倍、、、就職は100倍、200倍、、いくらなんでもきつすぎる戦いが、、高校受験から続きすぎている、、高校受験失敗のトラウマをすくったのがギターでありバンドだったな、、、音楽とバンドに救われたなぁ、、、」
悩んだあげくテーマを3つきめた
1つめは「音楽のすばらしさを10年バンドで学んだ点から話す」
2つ目は「どうしてもこの業界の仕事がしたいという切望をつたえる」
3つ目「商品(看板タレント)のすばらしい部分を話す」
この3つに絞り挑むことに決めた
またノートにまず大量に思いつく文章を書きだし、最後に厳選してまとめる5日必死に練習した
緊張は5日間続いた、、、、今思っても「いちばん人生で緊張した」5日間だったとおもう
コンテスト、いろいろな受験、、レコード会社重役の方との面接や売り込みの時、、、もっと普通だった
なぜならいつも「これがだめでも他がある」という余地を気持ちに残せていたから、、
今回は違う
これでだめなら、、、もう、、、まったく別の道、、普通の郊外で、どこか田舎で生きていく道しかないだろう、、、
もう一回メンバー探してバンドもない、、、
「人生の岐路」である。
雪が降りだしそうな1月中旬
天下分け目の戦いの場は敵の本陣「芸能プロダクション」のオフィスに行くこととなった
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