父とは入院の日以来当然会えていない。その間4か月。主治医から聞く父の容態はイマイチよくわからない(主に母が日中は経過報告をうけていたのだが)
毎日オペがびっしりの大病院なのだから、1人についての説明なんて丁寧にとはいわないが、
どちら側の梗塞がひどいとか細かくは聞いていないし、父の体の動く部分そのほか、機能的な詳細もなにもこちらには紙でも説明がない。
なぜ?聞こうとしなかったか?それは簡単「病院に対して腸が煮えくり返るほど頭にきていたから」
一歩間違えれば「オイコラ、てめえ!」と私も兄も言いかねない時期をずっと3週間ぐらい、忍耐の一文字で耐えてきたからだ。
手術の同意書にサインをした瞬間から、裁判しても「同意書は違法性阻却事由」(患者、家族が望んでしたことなので、違法性はないものという証明書)になる
「医師のすることは基本適法」余程の見当違いな処置がなされたことが立証されないぎり、勝訴はないのだ。
なにしろ、手術という作業がうまくいって成功でも、総合的には、悪くなったことについて、争えるわけではない。
手術というものの危険性は、医師にとっては負けても腹はいたまない「博打」にすぎない。
話を戻すと
当日10時半に父が転院してくる予定なので10時に私Nと母は付いていた、まだ到着していないのを確認し、確実に父と会えるように、玄関口で待ち構えていた。
10時20分を過ぎたころ、救急車が正面玄関についた。「母さん!あれだよ!まちがいない」
なぜ間違いないかというと救急車に父の手術した病院の名前が入っているからだ、
後ろのドアがあいてストレッチャーがだされはじめた
すると、真っ白な白髪のおじいちゃんが顔をもたげているようにみえた!すぐに近くにいった、なぜなら「おかしいぞ?」と思ったからだ
「回り込んでみて、間違いなく父だった」なぜすぐにわからなかったかというと、父はいつも髪はほとんどを黒くそめていた。そして
父は寝たきりで動かないはずじゃなかったのか?という2点がおかしいとおもったからだ
ゆっくり、頭をもたげ左に首をまわしてまわりに視線までおくっているのだ!
母のもとに行き「あれ父さんだ!目あいて、頭動いてるよ」と言った
母も「ええっ?」と驚いた
エレベーターの前までいって、エレベーターがくるまで3分ぐらいあった
私Nは視線の先にいって「父さん!○○です!(名前をいった)」するとこちらをみているが
なにも表情をかえないので、少しはなれていた母を呼び「母さん、こっちにきて」
母も「○○子ですよ、お父さん!」と言ったが、、父は無表情な赤ちゃんのように、こちらをみるのだった、、、
私Nは「母さん、わからないのかな、、、俺たちのこと」というやいなやエレベーターはあいて、父は入院病棟へ行ってしまった
あまりにも短い面談だ、せめてあと3分ぐらいはいろいろ話しかけてみたかった
ここからは母に任せて私は一足先に病院を出なければならなかったが
看護師さんからの話では、この日はずっとニコニコ笑っていたそうだ
この22回にわたる話も一旦ここで終わりにしようとおもうのですが
最後にもう一度だけ書かせていただきたい
たとえ医師が手術をすべきと言っても
「私はしない」
という選択肢でもいい場合はあるということ
そして
いつまでも長生きしたいという欲が強ければ強いほど
手術の選択の判断の冷静さをみうしなう
父に一つだけ必要だったのは
手術する勇気ではなく
「もう84歳まで生きた、いつ死んでも悔いはない、だからこのままにする」
という「足るを知る勇気」だったと私は今確信する



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