芸能マネージャーで20年、バンドマンで9年、内側で、外側で、傍らで芸能界をあらゆる角度からみてきましたが、、、
「運の力学」というものは間違いなくある
15年以上芸能界に生き続けた人は表のタレントも裏方のマネージャーも、必ず「運の力」をもっている人である
有名人のはなしは検索でウソのはなしもあるので、私Nの実話をまず話します
いろんな人生のタイミングで、私Nがネットもない時代に、親戚に芸能関係者もないのに、なぜ最初の芸能プロダクションになぜ入れたかという話をかきます
まず、なんとか23歳でメジャーデビューをしたいと、22歳から「最後の努力」のつもりで、1曲に8か月かけて完成したデモをもって、レコード会社にアプローチを必死にしたのです。
そのなかで、1番本命のレコード会社の重役の方であり、制作のトップの2人いる中の1一人に、直接会って直談判できる機会が得られたのです
この経緯に関しても「運」もあるのですが、、それは、後ほど、書くことにします
この重役の方が私Nのバンドのボーカルと音楽性は絶対NG!でなにしろ、今後聞くなら条件は「私Nがボーカルでバンド組みなおして、音楽も「今、受け入れられてる、あくまで商業ベースにのるものであるものをもってこい!」という条件だった
結論、この日から2年後、デビューはできず、、私Nはバンド活動を辞めて「裏方」に回ることを決意し、この重役の方に相談し、レコード会社を、受けるも、惨敗。また、改めて相談に行くと
重役「A社は2次面接まで行ったのに残念だったな、、、連絡はきてしってるよ、、、今年はうちをはじめほとんどの会社は新卒採用はしないからな、、、」
※「超氷河期」というバブルがはじけて2年後1995年はほとんどのレコード会社は新卒採用を行わず、採用試験はレコード協会全68社ある中7社だけで、時期的に受けれたのは3社だけだった、、、
私N「なんとか、他に音楽のあるところで仕事できるところはないでしょうか?」と聞くと
重役「そうだな、、、音楽出版社、、、原盤製作社をうけるといいよ、、ここも、音楽の制作をするとことだから、、、たとえば、、、とかさ、、、調べてみなよ、、、」
私N「原盤製作、、、会社なんですね、、、調べて、、、あたります、、、ありがとうございました。」
とはいうものの、ネットもない時代に原盤製作社なんてどうやって、、、探せばいいものか、、、困り果てた、、、
新宿の紀伊国屋書店で聞いてみても、、、池袋の大型書店でも、、、「原盤製作社」が掲載されている音楽誌なんてない、、、とのこと
当時、私Nは埼玉県の中部に、アパート借りてくらしていた。目立ってあるのは、東武ストアぐらいであとは田舎の商店街があるだけの小さな街だった
困り果てたまま駅をおりてアパートの近くまできて、ふと、アパートと反対の駅の南口に一軒本屋があるのをおもいだした
「新宿の紀伊国屋書店にもないのに、、、こんな田舎の本屋にいっても意味ないよな、、、」とつぶやきながらでも、、、やきとりもたべたいし、、やきとり買いがてらちらっとみてみるか、、
と、踵をかえし、反対の南口へむかいだした
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