この作品の原盤(レコーディングした音源)があることを知っている人間は私Nがしるかぎりこの世で3人だけだとおもう
まず、歌をうたっている歌手の方は故人であり、その存在をしるのは後はミュージシャンだが生存は不明である
私Nが就職した芸能プロである催事がひらかれることとなり、事務所の倉庫からかつての写真や、その他段ボールに入っ関係資料など、、、いろいろ、展示品やスライド素材など探していったん整理をしはじめたことが発端である
いろいろ見ていく中で、流石に老舗なので、貴重な写真がでてきたり、、、タレントの現場がおわってから、2週間以上にわたり、社長と私Nが助手として数々の段ボールに区分して使うものを探していた
写真などは手にしてすぐ、、誰だ、、とわかるのに対して、ある段ボールから15本ぐらいの8ミリのリールがでてきたのだ。
私N「社長、これ8ミリですよ、、なつかしいですねー何が撮影されてるんですかねー」
社長「どれ、、みせてみて、、、なんかよくわからないね、、、、テレシネできるところさがしてくれる?」
※テレシネとは8ミリなどのフィルム映像をビデオテープに録画し直すこと
私N「わかりました、、見たいですよね、、、バンドのライブ映像だったりして、、、あとこれは、、8ミリのフィルムじゃなくて、、、ビデオの磁気リールがあるんですけど、、」
表のインデックスシールにはある地名がかかれていた、、、
社長「どれ、、、みせて、、、、ああこれ別荘のだね、、、別荘で録ったレコーディングの音源だと思う、、これ、、誰かにおねがいしてCDにやきなおせるかきいてみてくれる?」
私N「え?ほんとですか?すごいじゃないですか?もし本当なら秘蔵音源として世に出したらうれますよね?」
社長「ファンのひとなら、、買うかもね、、、」
私N「いや、、、これ貴重ですよ社長、、、ちゃんと音をおこしましょう、、」と私Nのような若き制作マンは秘蔵音源の発見にとても興奮したのを覚えている
1970年代初頭のリールのようだった、、私の入社した1996年頃はプロのレコーディングスタジオでは「デジタルの48マルチレコーダー」が主流の時代だったが、
1988年ごろはアナログ24CHが主流だったが、、、私Nのバンドマン時代にも、8ミリのレコーダーはあるところにはあった。何を隠そう私Nのバンドの最後のデモはこの8ミリのレコーダーで収録した(1995年4月新所沢のスタジオにて)
このころレコーディングの技術革新はめざましく、
1995年終わりから、加藤和彦さんの地下のスタジオでは最先端でハードディスクレコーディングに着手していて、この後2000年へとすべてのレコーディングがプロトゥールスによるデジタルに変わっていき、音楽ソフトのCDから、ダウンロード、着うたフルの時代へと急速に変化を余儀なくされていくのである。
レコーディングスタジオからあの大きいレコーダーが少しずつ姿を消していくことになった。
この音源の発見はまさに最後のCDミリオンを宇多田ヒカルさんやモーニング娘。さんが出しているときとまさに同時期、、、、「今ならいける!」と十分におもえた。
私Nは8ミリのリールをもってある人のもとに走った!




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