実地試験5日目の最終日、いよいよ泣いても笑っても今日で終わる。願わくば合格、、ダメでもバイトで潜り込み2年ぐらい業界修行をお願いしてみようと決めていた
かつてはレコード会社もバイトから社員はあったが1995年のこの当時はもうなくなっており、契約社員から社員もかなり狭き門でほとんど契約期間満了で終了という時代。
芸能プロにいたっては「社長の運転手から社員」はまだ可能性があると聞いていた
芸能プロは大手しかかつては大卒新卒採用をしていなかったが、第二次ベビーブームのこの時代は学生がどんどん自ら会社にハガキや電話をかけ、入社試験希望をつたえるため、(パソコンはまだ会社にない会社が多くワープロの時代)、、「ならやるか」といままでは求人誌募集経験者のみの比較的小規模の会社でも若干数(1名程度)採用でも、新卒採用をやったのである。
ちなみにレコード会社のソニーは4000人エントリーで若干名採用(1名ないし2名)、かるく2000倍?ぐらいはいっている
1日でエントリーシートを取りに来る学生(この時代は配布である、、郵送しない会社もあったほど)が700人いた会社もレコード会社はあった。音楽業界の人気はテレビ局の次といわれるほど
やはり私Nとって最終のあとの実地試験まできて、落ちたくないが、、、狭き門ではある、、、
落ちたら運転手のバイトの線で潜り込むしか業界入りの道はない
この最終日まで運転でのミスはないし、自分の車を所有し、毎日運転していたので、持ってないやつよりは運転はうまいと自負していた。
ミスは「みかんの八つ切り」「都内の道を知らない」ぐらい、、、かな、、
朝から社長を迎えに行き、、事務所でお茶出しをして、、、
私N「社長、きょうの外出は午後の○○さんとの打ち合わせ1件だけでよろしいですね?場所は地図で確認しておこうとおもうのですが、、出発は30分前ぐらいでよろしいですね?」というと
社長「えっ?○○さん今日だっけ?」と
私N「スケジュールには1時とかいてありますが、、、」
社長「あっほんとだ、、忘れてた、、用意しなければいけないものがある、、、と各所に電話をはじめた」
普段秘書などいない社長は、時々、、外や来客の予定など忙しすぎて忘れることがあるのをに気づいた。
私Nの実地試験中も電話に夢中になり、、出発がおくれて外の約束の時間に間に合わなくなったりした
だから、まず、その日のスケジュール確認、外出の時間の確認、をあさすることにここ2日はしていた
やはりここまで多忙な社長に秘書がいないのはおかしいと私Nは思って、つとめてその役を補おうとした。ここが私Nがこの実地試験で自ら自発的に考えてポイント取りに行った部分である。
4日目からは社長に対する緊張もすこし慣れたせいもあり、和らいでいた
社長が言いそうなことが、、分かってきたためであった。
人間のくせをしることが、私は早いというのはむかしからあった。ある程度誰とでも仲良くなれるタイプだ。
食事もとれなくても動けるように「カロリーメイト」もポケットに忍ばせていた。
12時半になった
私N「社長!出発のお時間です!車を前につけます!カバン先にお持ちしてよろしいでしょうか?」ときくと
ニコッと笑った、、、この社長が私をみてここまで笑ったのは、、社長面接で、、道に間違えて息切れしてかけこんだ姿をみたとき以来のきがした
社長「お願いします!」とカバンをわたしまたニコニコしていた
車の中でも社長は機嫌がよく、、ふと、、
社長「2年ぐらいやるとね、、だいたいこの世界で何が大事かわかってくる」
私N「たった2年でですか?」
社長「全部ではないけど、私も詰め込んで覚えてね、、だいだい肝心なところは2年ぐらい、、」
私N「社長は何年ぐらい社長をされてるんですか?」
社長「だいたい10年ぐらいじゃない?まだまだ新米社長よ、、、」
と話しているうちに打ち合わせのホテルに到着した。
この間、すかさずカロリーメイトを食べ少ないが腹を埋める、、、ふとかんがえた
今日で終わり、、あの日本青年館で筆記試験をうけたとき適当に数えても7.80人かな?
大手レコード会社の重役の推薦とはいえ、、よくもここまで残してくれたな、、、下手なタレントのオーディションよりはるかに高い倍率を超えてきたな、、、
自分は「ただ運があった」としか思えない、、「運」はあるんだな、、と
人生ではじめて運の存在を感じた瞬間であった
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