いよいよ13時から面接がはじまる、46人いるのできっと5人づつぐらいのグループ面接かな?とおもっていたのだが、、なんと説明で一人づつの「個人面接」だと判明!
すこし驚くが、、、みなそれぞれの事情「誰かのなにか」だったり、、「個人的な推薦」のはなしなど、芸能プロならではの「事情の話」ができるようにだとすぐ悟った。
レコード会社などと違い。。まず大学をでて芸能プロダクションに行こうという人はまずいない
いろいろなコネをつかい、、人つてで、あまり巷で知られない、この募集の情報をキャッチして受けにきている人がほとんどだろう、、、
「有名人になれる本」などよんで152社にハガキをだしてここにきてるのは私Nぐらいのものだ、、
携帯も、ネットもない時代の芸能プロの募集なんて、、みな手にいれるコネなど普通の家庭ではまずない。
「みな、なにかしらのコネ受験」である。そういう時代なのである。
「また、、落ちるのか、、、」という気持ちをなんとか振り払い、、面接用に書いて練習してきたノートをパラパラとめくり文言のチェックをした
「こうきたら、、、こうきりだす、、きっかけは、、、で、、、結論、、、こうです」
完結にとどめを刺せるように、、繰り返した
順番はなんと「○○さん」と1人1人声がかかり別室に呼ばれていく。「なんの順番なんだろう、、、あいうえお順ではない、、」
この部屋にいる人数が1時間ちょっとで半分にへった、、、かなり速いペースで呼ばれている、、、
聞かれても2つぐらいだな、、、「人となり」をみて「あとはプロダクション、この会社の志望、理由」と質疑応答、、、だなとしぼり
いいな、、と思う会社の「ほめごろしワード」ノートにかいた。
1時間半、、、のこり15人ぐらいで私Nの順番が来た
中に入ると、50歳ぐらいの男性が1人だけいて、「Nと申します。よろしくお願いします」
とあいさつすると面接官「ああ、君がNくんね、○○さん(レコード会社重役)からよろしくといわれたよ、、ずっとバンドやってたんでしょ?」
と聞かれ「はい15歳からギターで、、、とここまでのバンド歴と音楽情熱を一気に5.6分はなしつづけた、、」
面接官「わかった、わかった(と話を制するように)、、、まあ、ダクション(プロダクションのことを昔の業界人はこういう)の今の社長のほとんどもバンドマンだからね、、むかしは、、、ホリプロも、渡辺も、、、一プロもそうだし、、田辺さんも、、、んーとりあえず君は、一回社長に会わすから、、、また日程れんらくするよ!、今日はおつかれさま」
と言って封筒をわたされた、、、
面接官「あっ交通費ね、、それ」
私N「交通費なんていただけるんですね、、、あっそれと昼食もごちそうさまでした、、おいしかったです」というと
面接官「まあ、あそこはそんなにうまくないだろ、、、はは、、」といって笑った
私N「いえ、、おいしかったですよ、、」と伝えたが、、、面接のことで頭がいっぱいで味はホントは覚えていなかった
封筒をみると「五千円」もはいっていたのだ。。。
さすが芸能プロ、、、気前はいいんだな、、、とおどろいた、レコード会社は2次面接でも100円すら払わないのに、、金回りはプロダクションのほうがいいんだな、、とちょっと関心した
それよりも、、レコード会社の重役の紹介とはいえ、なんとか、、音楽にかけてきた青春の情熱編のしゃべりで「社長面接」までの道が開けて、私はいままでにない「好感触」と「追い風」を感じた、、
プロダクションはレコード会社とはちがい「○○バカ」の「体育会系、縦社会系」が好まれるのは知っていた
私N「ひょっとしたら、、、可能性あるかも、、、」と
駅の公衆電話久しぶりに母親に電話をして、、実家に「社長面接」までいける会社がでたことを伝えた
敵は10人ぐらいか、、、、いや5人ぐらいかも、、、しれない
「社長はどんな人なのか、、、」女性ということしか情報がかいていない、、、戦略がたてづらいな、、いや「筒美京平先生のはなしでいくか」「また音楽情熱話か」、、、ちょっと改めて考えるか、、、
埼玉までの帰り道池袋駅の東武東上線のホームで飲んだ缶ビールは格別にうまかったのを覚えている
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