75歳で大動脈解離になり、5年、7年、と過ぎてくると、家族自身もあまり「病人」とは思わなくなってくる。大動脈解離はいったん裂けたらもとにくっつくことはない
医師ははっきりとした言い方はしないのだが、年齢とともに木がふるくなってくるように経年劣化し、「現状維持をし続ける」というのはむずかしい
中にはすぐに上行のほうが裂け、即死してしまうことすらある
40cmも中膜がさけているのだからもし広がってくればなにか本人にわかる自覚症状がでるのだろう、、と家族も思っていた
ただ本人のくちから8年たっても、9年たってもどう?痛くなったりしないの?ときくと「うん、別になんともないよ」としか言わないのだ
これは後になってきづいたのだが一つだけ兆候はあった
父はものすごく食い意地はった人物だった。「食べることとビールをのむこと」が人生の80パーセントを占めていたといっても過言ではないほどたべることに執着していた
私Nが買い物を担当していたが、週2回のかいものするのだが、3日分のものなので、フルーツ、や甘いもの、おかずも何種類かなどいろいろかってくると
父はかいものぶくろからすぐに自分のたべたいものをいくつも取り、全部を先に少しづつたべないときがすまないほどだった、その食べているときは人の話は話しかけても聞けないのである
あるとき、私Nと父で回転ずしを食べにいったことがあるのだが、そのとき父は82歳という高齢だが2かんずつ1皿にのっているにぎりを8皿軽々とたいらげた(16かんも楽に食べた)
「父さん、お腹くるしくない?大丈夫?」ときくと
「ぜんぜん大丈夫だ、まだ食べたいがこのへんにしとくか」というほどだ
大食漢という感じだ
そんな父が、運命の手術の1年嫌い前からかときどきおかしい動きをしたことがある
私Nがかいものから帰ってきて父のすきなものをどうぞ!とすすめてたら、「あとで、いただく」とか「明日にする」
とか言ってたべなかったことが時々あった
母はまったくきにしていないが、私Nは母に「父さんなんかあったの、おかしいよ」といったが
母は見たいテレビでもあるんじゃないの?とかまったく関心がない
あまりにもふしぎなので2回目のとき父に「おかしいよ、父さん何かあったでしょ?普段ならがまんできないでしょ?こういう食べ物まえにしたら、、具合わるいの?」と問いただしたら
「うん、ちょっと朝はいてしまったんだ」と白状した
「何食べたの?あたったんじゃないの?」というと
「おかゆ」という
レトルトのおかゆであたるのはおかしい、、、そのときは食あたりかな、、ぐらいにおもっていたのですが
あれは大動脈解離したところが広がりだしたからです
なぜなら父は40cmさけていて「腹部大動脈」までさけているわけですから
「胃が大きくふくらんだとき」このときに、広がった腹部大動脈に当たってしまい吐き気をもよおしてしまうのです
これはひとつのみえない大動脈のひろがりだす「サイン」になります
胃に物を入れたときに吐き出すというのは食あたりではない
食あたりは暫く吸収してからの拒絶反応になり、多少じかんはかかるものです
父は「すぐに吐いた」といっていました
でもこうなったときはもうおそいのです
大動脈解離は「5,5センチ」までで見つけなければいけなかった、、、
いまでも悔やまれます、、、、
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