何日間もいろいろネットで調べると、「大動脈置換手術」の危険性は極めて高いと知らされることとなる。
簡単に説明すると
①広がってしまった動脈を切除し、人工動脈に替える手術
②一旦心臓をとめて、切る部分をクリップのようなもので止めて患部切除する
※この間、30分間で人工動脈を縫い合わせるあいだは脳に血液が行かない状態となる
③この間は足のほうにつけた「人工心肺装置」によりほかの部分の血のながれを確保しつづける
④人工動脈がついたらクリップのようなものを外し、心臓を蘇生させ、もとの状態にする
非常にざっくりだが
このような工程の手術で
30分も脳に血流がない状態でさまざまな後遺症が考えられるだけでなく、「腕、足などの麻痺」なども十分に考えられ、最悪は命の危険もないわけではない(医師は当然このような言い方はしないのでカッコ書きで付け加える)という、相当なリスクを背負っての手術となることがわかり、息子としての私Nの意見としては、このままゆっくりした生活をおくり、来るべき時を受け入れるというほうがいいのではないかと父に強くではないが、話はしてみた
しかし、父の考えは180度違っていて、むしろ「手術は当然やる」と言わんばかりだった
その理屈は父独特の「自信」と「過信」から成り立っていた
<自信と過信の根拠>
①自分は動脈以外はどこの臓器もわるくない!「動脈さえ直せば健康体そのものにもどれる」
②自分の母親も96歳と長寿で老衰で死んだ、「もともと長くいきれる体だ!母を見ればわかる」
③今までも体力はあり3度の死の淵からの生還「手術に耐える、回復する体力を自分はもっている」
※これは一度も人生でタバコをすわないから年齢に比べて肺がいいとも自負していた
母はもうなにも反論しても意味をなさないことをしっていたのでだまっていた。私Nも、確かに臓器の機能などは年齢よりも若いと認めていた、反論して、止めた場合のこともかんがえてみた
当然徐々にか一気にかはわからないが、動脈は悪い方向にむかい、痛みや食事を吐いてしまったりして、日常生活にも支障をきたしてくることは明白だった
必ずしも一気に裂けて死ねる保証はない
この場合は悪くなり方、死に方に法則はない
毎日、痛んで胸をおさえる父と私たちは普通の精神を保ち生活できるだろうか、、
食事をたべても吐いてしまえば、(食べれなくなれば)当然やがて衰弱してそのときになって、入院生活になり
「だから、あの時手術していれば、こんなことにならなかったんだ!体力はあったんだ!」と父はおもいながら死んでいくだろう、、、止めた私Nを死の淵で恨み後悔をもちつづけるだろう、、、
そういうことを言うわがままな性格なのである
私Nは最後こう思った「父の命なのだから、父が決めるべきだ」と
親子とかいっても、みな死ぬときは一人だ
自分の命の運命も、自分のものとして最後まで扱うべきだ
うまくいかないで、ひとの意見にしたがって、
恨みつらみや後悔をのこして死んでいくのは、可哀そうだ
「本人が望むことを支える」という
気持ちになったのである
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