大学が遠くて、自宅から片道2時間半かけて入学してから2か月は他県までかよっていたのですが、バ
ンドの活動にも不自由だし、これじゃバイトもできない、、ということで「アパートの家賃と水道代だ
け払ってくれれば、他の生活費は自分でかせぐから!」
と親に言って、移った先は埼玉県坂戸市というところ、、今から32年前です
ロン毛で茶髪のバンドマンなんて私Nだけで、駅前にたむろするヤンキーから、「あれ男だぜ、、おかまじゃねーか?」とか
喧嘩うられたり、もう線路渡れないぐらいべたべたのソアラのシャコタンがはしってたり、当時の埼玉中部から上はまだまだヤンキー色が強い雰囲気でし。そして、となりが東松山市
という今回の話の舞台の町なのですが、全国的にも有名な「レディースのチーム」が存在し、全盛期だ
ったそうです、坂戸や東松山は女の子はかわいい子がわりといましたね、、当時バブルで、人もおおかったです。私Nは人生の中でもこの時代が一番楽しかった。
ある日、大学の友人と居酒屋で一杯やろうとなり、「養老乃瀧」をみると満席ではいれず、しかたなく別の、私Nは
よそ者まるだしで目立つからやだったんですが、地元民の客だけの店のようなやきとりやに入ったのです。
当時は自分でも「将来は当然ミュージシャンとして生きていく」と思ってましたから、ヒョウ柄のジャ
ケットに長いピアスをぶらさげて、ベルボトムにウェスタンブーツで入ってきた私Nをみて、常連客の
賑わいは一瞬で凍り付き「シーンと3秒沈黙のあと、、、フフフ、、、」と冷笑が各所から聞こえてきました。
「ちっ、、いなかもんが、だからやだったんだ、、」と友達にいうと
友達も「ヒョウ柄にグラサンはやめろよ、、、学生になったんだから」というのですが
当時の私Nは完全にできあがってましたから「世の中は世の中、俺は俺、世の中がやがて俺をみとめるだろ、、、」と完全にやばいやつでした
メニューをみると、なんか焼酎がいろいろかいてあり、まだ東京にもあまりない「トマトハイ」があったのを覚えています
友達が適当にやきとりを6本ぐらい頼んでて、横にあるたれをつけて食べるといわれました
みると「赤いいろの味噌」らしく、なんだこれと香りをかぐと
「にんにく、、、っぽいな、、」とおそるおそる、やきとりにつけて食べると
「ん、、うめーな、これうめーぞ!」と、赤いみそをべたべたにぬる、、ほど肉がうまく感じられました」
なんか弾力があるなこの鳥肉、、「これモモ?」ときくと
「ん、肉はかしらだよ」と店員がいう
「かしらってなんだ?」と友達にきくと
友達「さっき俺もびっくりしたんだが、、ここ東松山市のやきとりは全部、豚肉なんだってよ!、みそだれのやきとんは東松山市の名物で協会もあるんだってさ!」
「なんだよ、そもそも焼き鳥じゃねーのかよ、、でもやきとりよりこっちの方が俺は好きだ、いいとこひっこしてきぜ、楽しくなりそーだな、、」
ともうやきとんもみそだれも1回目から大好きになって、その後就職をするまで埼玉に居ついてしまいました
味噌だれはその店がオリジナルでつくったりするのですが、出来合いのものなら、地元の「ヤオコー」でも売っている利根川商店のみそだれがちかいと思います
今はネットでかえるので貼っておきます
肉料理になんでもあうとおもいます
昔のブログ記事→5年ぐらい前に北坂戸のおみやげやきとり買いにいきました埼玉
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