1996年2月にマネージャーになり、、朝早くにでて、かえりは25時10分に最寄り駅につく終電がほとんどの時代
出会いは30年前の1996年3月マスターは独立してお店を開店したばかり、、私はマネージャーになり記憶もなくなるほど忙しく、つらい時代、、、家でのむビールだけが癒しだった、、、
杉並のきせにあの辺は当時24時でしまってしまう地元の酒屋はあるが24時間のコンビニもなく、、買い置きが切れたが最後ビールにもありつけなくなる
25時に終電で着くとき、「あー今日かってないなぁ、、、くそう、、、」と家路への商店街のなかほどに今までみたことない看板がある「居酒屋○○」
やった飲める、、、と思った矢先、、店から店員らしき人が出てきて看板をけしてしまったのです
「えっ終わり、、、」
わたくしNは「すいません、、もう終わりですか?」ときくと
店員(マスターでした)「はい1時までなんで、、、また是非!」と笑顔でいった
その笑顔をみてふとでた言葉は
わたくしNは「すみません、お店の値段でビール2本うっていただけませんか?」
マスター「えっ??、、あぁ、、べつにいいですよ、、」笑顔でいってくれたのです
その日からマネージャーを引退するまで20年間この居酒屋、、(2年半後に移転してからも)の1番常連となるのです
11年前に引退してからはあまりいけませんでしたが、、久しぶりに顔をだすと
かつて太っていたマスターはやせて、、髪もまっしろに
1996年3月時はお互いマスター37歳、わたくしNは24歳でした(若い、、、)
いまはマスター68歳、わたくしNは55歳、、30年と5か月が過ぎています
わたくしNはマネージャー時代お客様より目立たないように、髪も普通に、ピアスせずでしたが
今はロン毛にピアスです(笑)
少しびっくりしたようでしたが、、兄の訃報を伝えていたため
いろいろ気遣いのお言葉が先でした
あのお店で最初のプロダクションを辞めることも31歳、朝五時までマスターとはなしをしながら悩んできめましたし
私の人生の重要な起点にはマスターとあのお店が必ず絡んできます
人脈もしかり、、
当時あのお店にはいろんなひとがあつまっていて
マネージャーは私Nだけでしたが
一般の社会人のほかに
舞台役者、舞台監督、サラ金のサラリーマン、プロのミュージシャン、右翼の政治活動家、デザイナー、風俗嬢、彫師などいろんな人がきていて結構おもしろかった時代があります
プロのミュージシャンでは当時メジャーデビューもしていたバンドのドラマーK氏とよくのみましたが
よる9じから朝9時ぐらいまで夜を徹して2人でのんだこともあり、、あさ6時にマスターがカギをわたくしNにわたし店の戸締りまでおねがいされたほど(笑)(笑)ほんとです
かってにビールついで正のじつけて次回自己申告で、、、戸締りよろしくとかえっちゃった(笑)
もうずっとビールを大ジョッキで20杯ぐらいはのんでましたね、、(笑)
29歳ごろですけど、、それで一緒にバンドをライブ1回だけやろうよ、、、ということになり
ギターも修理したりしましたが、、、実現はしなかったですね、、
でも浴びるほど酒飲んでてたのしかったな、、、
今は一滴も口にしないというと本当にびっくりされてました
タバコは40歳で、、酒は44歳でぷっつり止めました
今生きているのは
マネージャーと酒たばこを辞めれたからですね、、、とはなすと、、、
マスターも「ジャーマネ(わたくしNをそう呼ぶ)は全く休みなしでいそがしかったからねぇ、、、」といわれました
でも30年前の芸能界なんて「休んでるなんて恥ずかしいこと」
「やすみがない」は嬉しいこと
そういう時代です
最後は店の入り口で抱き合って別れました、、、
「私は人には恵まれた人生」だと思います
助けていただいた方も多い
それだけはわたくしNの自慢です
